むかしばなし(2)

先日の自分の文章ですが,ちょっと誤解を与える箇所があったようなので捕捉します.
自分が最初に入社したのは風雅システムではありません.東京のとある会社で,マルチメディア関連を幅広く扱っていて,ゲームにも触手を伸ばそうとしていました.いわゆるパブリッシャーというやつで,制作は別のソフトウェア会社で販売その他を行なう,というのから始めたのですが,ちょうど自分が入社する1年前くらいから,自社にも制作部門を作ろう,ということになりました.
そんなわけで,自分が入ったところは素人に毛が生えた程度の集団で,そこにずぶの素人である自分が入ったというわけです.当然ゲームの作り方など知っているはずもなく,ホームページ制作などをしながら日々ぐだぐだに過ごしていました.
そこに,どういう経緯か詳しく知らないのですが,以前風雅システムで働き,アマランスシリーズなどを手がけた人が入ってきました.そう,いもくんです.先日のメールで,グラフィッカー兼プログラマ,と書いたのは適切ではなかったかもしれません.自分は当時(今も)風雅とかアマランスとか全然知らなくて,なんとなく想像で書いてしまいました.いもくんの本職はなんだったのでしょう?シナリオがかけてプログラムもかけて,グラフィックも出来た,と思ってたのですが,グラフィッカーではなかったのかもしれません.
こんなあいまいなことしか言えないのは,いもくんは開発者としてではなく管理者として入ってきたからです.たぶん僕たち素人集団を一人前にするように,みたいな目的で連れてこられたのかもしれません.もちろん会社としては風雅のナレッジを吸収したいというのもあったでしょう.しかし実際に自分たちがその方から教わったのは,プログラムコードではなく,ヒント集みたいなものだけでした(ちょうどWindows3.1からWindows95の移行期,ということも影響しているのかも).なので,自分にはそういった意味での技術の継承はありません.期待外れでどうもすみません(というか,あおってしまってたらどうもすみません)


以下は蛇足です.
いもくんが7月くらいに入ってきて,しばらくは様子見で,9月から第1弾のゲームを作ることになりました.アドベンチャーゲームで,プログラムもグラフィックも音楽もシナリオもすべて自社製作.ターゲットはWindows95Windows95が発売されて1年くらい経ったころでしょうか?もちろんメンバー全員全く分かってないので,勉強会からスタートしました.5人くらいが2テーマずつくらいを受け持って発表し,質疑応答の後でいもくんがそれにコメントする形式でした.いまから考えるとどの発表もひどいものでしたが,とりわけ自分の発表はひどかったのだと思います.ずいぶんとはげしく怒られました(とはいえ自分の担当は難題ではありました.DLL/COMの基礎って内容をいもくんが満足できるレベルでまとめるのは,まぁかなり大変だったと思います).
それから実際の制作ですが,プログラマ3人で,1人は描画ルーチン・音楽の再生ルーチン・テキスト表示などのサブルーチン担当,1人はスクリプトコンパイラの言語設計と開発,そして自分はメインプログラムを担当していました*1.なぜ自分がメイン担当だったのか,意図は分かりません.ゲームプログラムでしかもAVGなら,メインプログラムなんて誰でも出来る,ってことだったのかもしれません.しかしそこで自分はいもくんから,Windowsでゲームを作るとはどういうことか,イベントドリブンで注意すべきこと,そしてそれとはまったく別の視点から,プログラムを設計するということはどういうことか,といったことを叩き込まれました.
とはいうものの,それでも(当然)きれいな設計などできるはずもなく,まずい状態のまま作品は完成してしまいます.自分がソフトウェアの設計について強い関心を持つようになったのは,このときの体験が強く影響していると思います.オブジェクト指向にのめりこんだのもこのころからです.
いもくんは答えを聞くのを嫌い,自分で考えることを求めました.例えばバグを作りこまないプログラムの書き方とか?これも自分で考えることが大事だと言われました.
そしていもくんは翌年の5月か6月,ちょうど一年くらいで退職されることになります.会社のでたらめなやり方に嫌気がさした,という説明でしたが,部下のあまりの不甲斐なさにやる気をなくした,という可能性も否定できず,でもそういったことは一切口にしない人でした(個人のHPなども拝見してましたが,けっこう口の悪い書き方をされることが多いのですが,この期間に関してはそういうこともされてないようです.まぁ,消し去りたい過去,という可能性も高いですけど).


そんなわけで,いもくんが自分に与えた影響はきわめて大きかった,というお話でした.
さらに蛇足.自分がJavaをしたいと今の会社に入り,なぜかdotNET案件に入って異動願を出しても受理されずやさぐれていたころ,いもくんのHPで,「いまの技術トレンドってなんなんだろう?自分はC#で幸せなんだけど」みたいな一文を読んで,強く心を揺さぶられたのでした.それからいろいろ調べるようになって,いまとなっては全くJavaには興味がなくなったのですから,いまだに影響を受け続けているんですかね.

*1:規模にもよりますが普通ゲームプログラマは1人で短期間で仕上げるので,こんなのでペイするはずはありません.たぶんいもくんが相当苦労したのだと思います